大勢の人が赤色に見えているものが自分だけ違うとつらい…
私は子供のころに「自分が見ている赤色は、他の人と同じなのだろうか?」と考えたことがあります。
もしかしたら「人によって見えてる世界が違うんじゃないか?」って、なんだかすごいことに気づいてしまったように思いました。
リンゴが赤に近い色なら話は通じる
原色の赤でなくても、ピンクっぽかったり、オレンジっぽかったり、紫っぽいかもしれない。
薄かったり、濃かったり、明るかったり、暗かったりもするでしょう。
それでも大まかに分けて「リンゴが赤色」に見えていたら、だいたいの人と話しは合います。
無理をして合わせようとしなくても共通認識が同じなので、それは日本で生きていくにはラッキーなこと?だと思います。
黄色や緑色や茶色だったらきつい
「リンゴは黄色だよね」と言う人がいたら、確かに中身は黄色だけど…普通は外側の色を答えるよ!ってなるでしょう。
「リンゴは茶色でしょ」と言う人がいたら、棒の部分?種のことを言ってるの?そこを聞いてるんじゃないよ。
もしかして梨じゃない?腐ってるの?ってなると思う。
「リンゴは緑だよ」と言う人がいたら、青りんご?ラ・フランス?品種が違うどころじゃない!!
えっ、何?葉っぱの部分?なんでそこやねん!?みたいな。
本人が嘘をついているわけでもなく、本当にリンゴが黄色や緑や茶色とか、赤色ではない他の色に見えていたとしたら、相当きついよね。。
共感覚で数字や文字に色が見える人もいる。
色のない世界にいる人もいる。色盲の可能性もある。
目が見えているだけでも有難いことなんですけどね。
お互いの違いを認識するだけでいい
「そうか、一般的にリンゴは赤色なんだ…」と理解して、自分には赤色に見えてなくても「リンゴは赤色」と答えておけば、この世の中では生きていける。
青色だ、黒色だと主張したところで「こいつ、何言ってるの?」「頭おかしいんじゃね?」ってなりますからね。
自分以外にも赤色ではない色に見える者、少数派を受け入れてくれる人がいれば、自分が見えているままに生きていても問題はない(と思います)
あなたは何色に見えるの?
「金色?」「あら素敵ね~♪」
「虹色?」「それは、すごいね!!」
みたいな、ありのままの自分を出せる世界になったらいいな。
お互いにわかり合わなくてもいい、べつに受け入れなくてもいいから、ただ違うということを認識するだけでいいと思う。
否定も肯定もせずに「へぇ、そうなんだ~」でいいんだよ。
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今週のお題「赤いもの」