スキゾイドな「ウサキさん」の思考

1人が楽なタイプ。 考え方、思うことは、人それぞれ。 「こんな人もいるんだよ」ってだけの話。

利己を極めると結果としての利他につながっていく【幸せになる勇気】

本当の愛を知ったとき、人生の主語は「わたし」から「わたしたち」に変わる

「幸せになる勇気」はアドラー心理学のベストセラー「嫌われる勇気」続編です。

 

愛とは「ふたりで成し遂げる課題」である。

幸せになる勇気とは、愛する覚悟を決めること。

 

幸福なる生を手に入れるために「わたし」は消えてなくなるべきなのです。

 


幸せになる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え2 [ 岸見一郎 ]

 

利他と利己について考えていたのですが、ここに答えを見つけた気がします。

 

個人的に「おぉ~!!」と思った部分だけを忘れないようにメモしています。

 

「わたしの幸せ」を追求することによって「分業の関係」を築く

純粋な利己心の組み合わせが、分業を成立させている。

ここで大切なのは「誰ひとりとして自分を犠牲にしていない」ということ。

いわば、健全なギブ・アンド・テイクが働いている。

 

まずは仕事の関係に踏み出す。他者や社会と利害で結ばれる。

そうすれば、利己心を追求した先に「他者貢献」がある。

 

わたしの幸せを突き詰めていくと、結果として誰かの幸せにつながっていく 

 

「あなたの幸せ」を追求することによって「交友の関係」を築いていく

相手に対して、担保や見返りを求めることなく、無条件の信頼を寄せていく。

ここにキブ・アンド・テイクの発想はありません。

ひたすら信じ、ひたすら与える利他的な態度によって、交友の関係は生まれます。

 

与えよ、されば与えられん

 

自立とは「わたし」からの脱却である

我々は生まれてからずっと「わたし」の目で世界を眺め、「わたし」の耳で音を聞き、「わたし」の幸せを求めて人生を歩みます。

 

これはすべての人がそうです。

 

しかし、本当の愛を知ったとき「わたし」だった人生の主語は「わたしたち」に変わります。

 

利己心でもなければ利他心でもない、全く新しい指針の下に生きることになるのです。

 

中途半端な「正義」を掲げることは危険

なにより危険なのは、なにかが善で、なにかが悪であると、中途半端な「正義」掲げること。

 

正義に酔いしれた人は、自分以外の価値観を認めることができず、果てには「正義の介入」へと踏み出します。

 

幸せになる勇気・嫌われる勇気

 

7つの習慣

これも代表的な本なので紹介しておきます(ぜひ読んでもらいたいです)

 

人生の主語を「私」から「私達」に変える。

みんなが実践することが出来れば、きっと世界は平和になると思います。

 

schizoid-personality.hatenablog.com

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