覚えてるけど忘れてしまう。子供の頃を思い出して書く(25年前)
生まれてから、今もずっと「神戸」に住んでいます。
阪神淡路大震災があった時は、まだ子供(小学生)でした。
家は「半壊」で中はぐちゃぐちゃ。
外は地面が割れていた。
余震が長く続いて、怖かった。
水を汲みに行ったのを覚えてます。
とにかく揺れた!!余震も続く…
寝てる時に、いきなりドーンという衝撃!!
何が起こったのか、わからない…
縦揺れ、横揺れ、とにかく長い時間、揺れていた。
収まるまで、ジっとしてるしかなかった。
その後も、ずっと続く「余震」が怖かった。
家の中はぐちゃぐちゃ(半壊)
まだ暗いから、懐中電灯で中を見る。
食器が飛び出して、割れて、床に飛び散ってるから危ない。
あんなに重い、学習机も傾いて「アスレチック」みたいな状態。
よくわからないけど、不思議な感じでした。
外は地面が割れていた
外のコンクリートの地面は、ヒビが入って、パカっと割れていた。
すごい光景だったので、印象的でした。
近くのコンビニに行くと店内は真っ暗、だけど人はたくさんいた。
まだ商品があったから、何かを買ってもらって食べたんだと思う。
その後は、車の中にいました。
小学校は避難所になっていた
自分の家は「半壊」で、電気・ガス・水道も止まったので、親戚の家に避難していた。
同じ神戸市内でも、少し離れた場所だと、電気は付いてたんだと思う。
小学校は避難所になっていて、いつから再開したか覚えてないけど、とにかく休みになったのは(不謹慎だけど)ラッキーだった。。
すみません…当時はまだ子供だったので。。
学校には避難してる人がたくさんいて「パン、おにぎり、飲み物」などが配られていました。
自分の家に戻ってからと学校再開
電気だけ付くようになってたのか、家に戻っても、水が出ないから汲みに行ったのを覚えてます。
先生が見回りに来ていた。
亡くなった子や、遠くに引っ越した子もいたみたい。
うちは地震が発生する前から、近くに引っ越す予定でした。
そんな時に、地震が起こったので、しばらくしてから新しい家に引っ越しをしました。
「地震の前後で、水道の蛇口の向き(上・下)が変わりました」
たまに、どっちだったか?わからなくなります…
支援物資で各地から送られてきた、学校で使う鉛筆とか、文房具を色々もらったのを覚えています。
当時の記憶は、これくらい…。
しあわせ運べるように(復活のシンボル曲)
地震にも負けない強い心をもって
亡くなった方々のぶんも、毎日を大切に生きてゆこう
傷ついた神戸をもとの姿にもどそう
支えあう心と明日への希望を胸に
響きわたれ、ぼくたちの歌
生まれ変わる神戸のまちに
届けたいわたしたちの歌、しあわせ運べるように
↑神戸の学校の音楽の先生が作った曲です。
私も学校で歌っていました。
自分が経験していても忘れてしまう
自分が体験していても、テレビやニュースで見た時に思い出すくらい。
普段は、すっかり忘れている。
「ルミナリエ」も冬のイルミネーションの感覚になってしまっている。
でっかい「鉄人28号」を見ても、復興のシンボルだということを意識していない。
命を大切にって、わかっているけど…
「生きるのがつらいな…」って、しょっちゅう思う。
それはそれ、これはこれ。なんだろうか…